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🥷 令和6年『第13回 八王子 北条氏照まつり』

執筆者の写真: ジョウコクちゃんジョウコクちゃん

『第13回八王子 北条氏照まつり』が2024年10月27日(日)に開催されます。


八王子城を築城した「北條氏照」をたたえるイベントとして、

元八王子地区町会自治会連合会が主催となり、毎年開催されています。


北條氏照まつりのメインとなる甲冑武者隊のパレードは、八王子を

はじめ北条氏ゆかりの小田原市、伊豆の国市、寄居町などの武者隊も

参加した計6隊・約180人の武者行列が会場内を練り歩きます。

模型広場ではたくさんの模擬店も出店します。


北条氏照は、北条早雲を初代とする、後北条氏三代田である北条氏康の

三男として、天文9年(1540年)に生まれました。初めは武蔵滝山城城主、

後に自らが築いた八王子城城主となりました。


永禄2年(1559年)、武蔵滝山城城主で、あった大石定久の娘を竪り、

養子縁組をして大石姓を名乗りましたが、後に姓を北条に復しました。

その後、氏照は父氏康に従い主に東方を担当し、兄氏政(北条氏四代)を

助けて、北条氏の勢力拡大に貢献しました。氏照は、戦上手であると

ともに、外交手腕にも優れた才能を発揮したと伝えられています。


氏照は、過去の武田信玄軍との戦いの経験などから、標高の低い、

滝山城(八王子市丹木町・標高l70m)の防衛面で、の不利を悟っており、

武蔵と相模の境に複雑な地形と急峻な裏山を要害とする、少人数でも

守りやすい、大規模な山城(標高460m)を築き、1586~7年頃に移城

しました。山城の山頂に八王子神社が杷られていたため、城は

「八王子城」と名付けられました。八王子城周辺の「八王子」という

地名はこれに由来しています。


天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東征伐の際には、徹底抗戦を主張し、

居城である八王子城は、重臣をおいて守らせ、氏照自身は小田原城に

龍もってしまいましたが、6月23日、少数留守部隊の八王子城は、

豊臣方の上杉景勝、前田利家の数万の軍勢の攻撃を受け、激戦の上、

一日で落城、守備隊の多くの人々は戦死または自害しました。


八王子城の落城が小田原城開城のきっかけとなり、北条軍は7月6日に

降伏し、氏照は、秀吉から主戦派とみなされて切腹を命じられ、

兄・氏政とともに切腹しました。ここに五代続いた小田原北条氏は

滅亡し、北条氏が治めていた関東は徳川家康に与えられました。その後、

徳川家康は江戸を本拠とする、後の江戸幕府を開く礎を築くことに

なりました。

(八王子城の落城が小田原城開城の要因となり、また、八王子城跡が

戦国時代末期の山城の特徴をよく残し、歴史の大転換期となる、合戦の

重要舞台となったことから、2006年、八王子城跡は日本100名城に

選ばれました。)



日時:2024年10月27日(日) 10:00~14:00

   雨天順延 11月3日(日・祝)

会場:八王子城跡






2023年10月22日「第12回八王子北条氏照まつり」の様子



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