🚋「80年経ったとは思えない」湯の花トンネル列車銃撃から80年 目の前で姉を亡くした93歳女性が語る戦争の記憶 「1人が亡くなったら何人もの人が苦しむ」
- ジョウコクちゃん

- 8月8日
- 読了時間: 3分
2025年8月5日(火)TBSニュース 戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」で
『湯の花トンネル列車銃撃』が取り上げられました。
列車が標的とされた「湯の花トンネル列車銃撃」からきょうで80年。
慰霊の集いが行われました。「80年経ったとは思えない」。
目の前で姉を亡くした女性がそう語った理由とは。
戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。列車が標的とされた
「湯の花トンネル列車銃撃」から2025年8月5日で80年。慰霊の集いが
行われました。「80年経ったとは思えない」。目の前で姉を亡くした
女性がそう語った理由とは。
きょう、東京・高尾山のふもとで「慰霊の集い」が行われました。
中央本線「湯の花トンネル」。80年前の8月5日、この場所で列車が
アメリカ軍戦闘機の銃撃に遭い、死者52人以上という国内最大規模の
被害が出ました。
当時13歳だった黒柳美恵子さん(93)も、目の前で姉を亡くしました。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん「(平和な)こういう時代を知らないで、
銃後で死んじゃうなんてかわいそうだったな。私これ好きなの、この写真。
家族全部で」
数少ない家族写真。美恵子さんの向かって右に写るのが、姉の良子さんです。
太平洋戦争末期、アメリカ軍戦闘機などが日本本土で機銃掃射を繰り返し、
民間人を乗せた列車まで容赦なく標的となりました。
1945年8月5日、美恵子さんは疎開のため姉妹2人で新宿駅を出発しましたが、
列車は「湯の花トンネル」の入り口付近で銃撃に遭いました。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん
「いきなり弾の音がしてきたんですよね。(しばらくして)おそるおそる
頭を上げて姉に声かけたんですけど、全然返事ないわけですよね。
揺さぶっても何しても」
良子さんは頭を撃たれ死亡。17歳でした。銃撃のあと、上空を飛行する
戦闘機です。アメリカ軍の戦闘報告書には「本来標的だった飛行場などへの
攻撃をとりやめ、たまたま見つけた列車を狙った」と記されていました。
戦後、母・ますゑさんは「娘を亡くして生きているのがいやだ」と
漏らしたこともあったそうです。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん「(母は)わが子を亡くしたので
死ぬほど苦しかったけど、お父さんと私を置いて死ぬわけにはいかないと
言って。人生で一番変わったことだわね。8月5日って」
ますゑさんは58年後の8月5日、良子さんの命日に96歳で旅立ちました。
銃撃による被害について正確な記録は残されていません。それでも今年、
慰霊碑には新たに身元の分かった6人の名前が刻まれました。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん「1人が亡くなったから1人で済むと
思わない。それ(亡くなった人)には家族がいたり、友だちがいる。
1人が亡くなったら何人の人も苦しむからね。80年経ったとは思えない、
忘れたことないから私たちは」















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